SSBB便り
2022.06.03
甲冑堂
『甲冑堂(かっちゅうどう)』とは、一体なに?
宮城県白石市の国道4号線沿いにある、この『甲冑堂』の看板に気付いてから、かれこれ10年以上経っていて、「こんな所にどうして骨董屋さんがあるのかな?」程度にしか思っていなかったが、今回ここを通過するに際し、時間的余裕があったことが幸いし、急遽立ち寄って好奇心を治めることにしました。
これが国道4号線を仙台から東京に向かって走っていると進行方向左手に見える「甲冑堂」の看板です。(写真左隅の赤丸部) ここを過ぎると、もうじき福島県に入ります。
国道から左に折れて、少し下った所にその「甲冑堂」はありました。そして、それは坂上田村麻呂を祀る田村神社境内にある「お堂」だったことが判明。
なんだ、そうだったのか。決して「骨董屋さん」ではなかったのです。先ずは神社の境内にある説明書きを読んで、その謂(いわ)れを知ることにしました。
それに依ると・・・源義経の家来の福島県飯坂城主の佐藤元治の子、継信・忠信は義経の身代わりとなって、敵に討たれました。その母がこれを嘆くのを見て、兄弟の妻、楓と初音が夫の鎧、兜をつけて老母を慰めたと伝えられています。甲冑堂には、継信・忠信が着用したという甲冑と、兄弟の妻たちの美しい甲冑姿の木像を安置しあるとのこと。
ということで、「なるほど」です。今NHKテレビで放映中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に通ずるものがあります。
次の写真が奈良の法隆寺夢殿に似た、六角堂の「甲冑堂」とその内部に安置されている兄弟の妻、楓と初音の像です。訪れた日は生憎中は見れなかったため、写真は「しろいし観光ナビ」からの転用です。
更に、甲冑堂は松尾芭蕉の「奥の細道」の一つにもなっており、境内には芭蕉の紀行文にある、二人の妻のことを謳った歌碑もあります。「ふたりの嫁がしるし まず あわれなり 女なれども かいがいしき名の 世に聞えつるものかなと 袂をぬらしぬ」と書かれています。
さして、広くない境内ですが、訪れた日(5月上旬)は春の花が品よくきれいに咲いていて、また、あまり知られていない所のせいか、誰も訪れる人もなく、静かに鎌倉時代に思いを馳せるにはもってこいの状況でした。
以上、小生の好奇心を満たすには十分な内容でした。歴史好きの皆様にとっても「新事実発見」になったことと思われますが、さて如何でしたでしょうか?
参考に、「しろいし観光ナビ」も紹介しておきます。
https://shiroishi-navi.jp/detail/detail_2530/
by【S.H】