SSBB便り
2023.01.23
家康の湯
NHK大河ドラマ『どうする家康』で徳川家康の人気が高まっているところですが、その所縁(ゆかり)のある『家康の湯』をJR熱海駅前で発見しました。
タオルの自販機もあり、足湯は誰でも利用できます。タオルはここでしか買えないオリジナル品で、1本100円とはとてもリーズナブル。
※撮影時、係員が内部を点検中でした。
では、ここから徳川家康と熱海の関係を紹介します。
慶長9年(1604)3月、家康公は2人の子供、義直・頼宣を連れて熱海に7日間逗留しました。同年9月、京都で病気療養中の吉川広家(周防・現在の山口県)への見舞として、熱海のお湯を運ばせました。当時、すでに全国レベルの名湯として知られていた京都に近い「有馬の湯」ではなく、わざわざ遠方の「熱海の湯」を運ばせたところに、家康公がいかに熱海温泉を気に入ったかがうかがい知れます。
この元祖“温泉宅配便”は後に「御汲湯(おくみゆ)」として歴代徳川将軍に継承され、4代将軍家綱公の時(1667)、大湯(おおゆ)の温泉を真新しい檜の樽に汲み、それを頑強な男数人に担がせ江戸城まで運ばせるようになりました。
その後、湯樽は船で運ばせるようになり、8代将軍吉宗の時が最も盛んで、享保11年(1726)から19年(1734)までには3640樽送ったと伝えられています。
家康公が熱海を幕府の直轄領としたことで土地の治安・風紀が守られ、各地の大名、明治以降も時の要人、文化人などが頻繁に熱海に訪れ、しばしば歴史的会談なども行われるようになりました。
熱海駅前にある足湯「家康の湯」は、家康公が来熱400年記念事業として熱海温泉組合が平成15年(2003)に設置、熱海市に寄贈しました。もちろん無料で利用できます。
※以上の説明は熱海市観光協会発行の「あたみニュースマガジン1月号」からの抜粋です。
上記の「大湯」は市の文化財として次の写真のように保存されています。
また、上の写真左の木陰にある白い小屋は、日本で最初の「市外通話発祥の地」のモニュメントです。内部には緑色の公衆電話が飾ってありますが、これは当時のものではありません。こんな説明書きが建っています。
看板の内容を要約すると、
明治の頃、多くの政治家や政府高官が保養や会談のために熱海に来ていたが、東京との連絡が頻繁に必要であったこともあり、東京・熱海間に電話回線が敷かれました。但し、電話器はこのような公衆電話ボックスにあったわけではなく、東京は木挽町(こびきちょう)の東京電信局、熱海は宮内省の出先の事務所に設置されたとのことです。
また、この電話ボックスは明治33年に東京・京橋に設置された日本初の公衆電話ボックス(白塗り六角形)を復元したものとのことです。
さて、「大湯」は「熱海七湯」の代表格としても知られていますが、ここで残りの6カ所も紹介しておきます。次の地図でも分かりますが、殆どが熱海銀座周辺にあり、徒歩で巡っても行けるかもです。しかし、熱海は坂道が多く、相当健脚でないと途中で挫折する可能性大です。では地図をご覧ください。
①は大湯ですが、②以降を番号順に見ていきます。これが②の小沢の湯
③目の湯 ここは熱海銀座通り沿いです。
④河原湯 ここは国道135号沿いです。
⑤風呂の湯
⑥清左衛門の湯 ここは熱海一の老舗ホテル;古谷旅館の前です。
最後、⑦野中の湯 介護付き有料老人ホーム「中銀咲見20」の入り口です。
以上で全部です。七湯それぞれの説明は省略しましたが、次の熱海市の「熱海七湯めぐり」のウェブサイトに詳しく説明が載っています。
※写真の②と⑤はこのウェブサイトの写真の転用です。
熱海七湯めぐり|熱海市公式ウェブサイト (atami.lg.jp)
家康と熱海の関りも興味ある内容でしたが、更に「熱海七湯」の存在も知ることとなったのは今回の収穫でした。皆様も機会があれば是非「七湯めぐり」にトライしてみては如何でしょうか。新しい熱海が発見できるかも。