SSBB便り
2024.04.21
相良油田
静岡県牧之原市で『相良油田』発見!
と言っても、今発見されたわけではありません。1872年(明治5年)、当時の駿府藩士であった村上正局(まさちか)によって発見された日本では太平洋岸唯一の産油地でした。しかし、産油量の減少や国外からの安い原油の輸入のために1955年(昭和30年)に採掘停止になったのです。
そんな油田があったことを、筆者はつい最近発見したのです。
過去の遺産ですが、その最後の掘削櫓(やぐら)残され、近くにはその資料館もあります。
この看板の手前に車を停車させて、徒歩で緩い登り坂を進んでいきます。
登っていくと、ほどなく左方向へ案内されます。
これが現存する石油坑の鋼鉄製櫓です。
櫓の下には汲み上げた油を容器(ドラム缶?)に入れ易くするようなコンクリート製の土間になっています。
また、石油坑から約100mの所には「油田の里公園」があり、入り口の駐車場に車を置いて、公園内の資料館に向かいます。
公園の無料駐車場には50台近く停められます。何かイベントがない限りは悠々です。
駐車場から公園に入るとこんな案内板が目につきます。早速「資料館」に向かいます。
すると、結構立派ないでたちの『相良油田資料館』が現れます。
資料館の正面玄関
資料館内に入ると、当時の掘削作業の状況を実物大のマネキンで再現
石油の井戸掘りは当初は人夫による人力作業で立坑を掘っていましたが、後には櫓を建てて油をポンプで汲み上げる方式に変わっています。
1884年(明治17年)、当初の立坑だった頃の風景。立坑は風雨から立坑を守るために独特な形をした建物で覆われています。60もの立坑があったとのこと。
人力からポンプに変わって、左の建物はすっかりなくなり、替わりにこのような櫓群の風景に変わりました。
館内にはいろいろな資料が展示されていますが、当時を偲ぶ次の資料が目につきました。
井戸掘り人夫の生活の状況や挿絵が興味深いです。
地元の名士を始め、山岡鉄舟や米国人教師らの著名な人も名を連ねています。
年に一度開催される『原油汲み上げと桜まつり』
実際に原油を汲み上げて、その原油で発動機を回すらしいです。これは見ものです。
資料館のすぐ近くには手掘り井戸(立坑)の建物が復元されています。
右上の建物内部には、立坑と立坑内部に空気を送る足踏み式の「ふいご」である「たたら」があります。井戸の深さが増すにつれて通風装置がないと坑底での作業が出来ないので、「たたら」の両単に4~8人の人夫が乗り、上下交互に踏んで空気を送り込み坑内の油気を取り除いたのです。
立坑の大きさは約90cm四方で、深さは60~180mもあり、最大の物は255mにも及んだとのこと。
資料館の職員さんが、このようにたたらの作動状況を身をもって再現してくれました。「なるほど~」
いかがでしたか? 今では信じられない「油田」がここにあったことを知り、先人の苦労が手に取るように感じられて、感慨もひとしおでした。興味のある方は是非一度訪れてみてください。
牧之原市のH.Pにこの公園の案内が載っています。
www.city.makinohara.shizuoka.jp/soshiki/26/2005.html
By【S.H】