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2022.01.21

石狩挽歌

 

1975年(昭和50年)6月に、北原ミレイの歌として発売された歌として有名な『石狩挽歌』。

15 石狩挽歌

https://www.youtube.com/watch?v=Y3YqJupkRnQ

この歌は、作曲;浜圭介、作詞;なかにし礼ですが、この詞を見ていたら、「これは一体何?」 という分かり難い単語が散見されます。次の歌詞をご覧ください。
特に、ピンク色で示した単語。

 

1.海猫(ごめ)が鳴くから

  ニシンが来ると

  赤い筒袖(つっぽ)やん衆が騒ぐ

  雪に埋もれた 番屋の隅で

  わたしゃ夜通し 飯をたく

  あれからニシンは

  どこへ行ったやら

  破れた網は 問い刺し網

  今じゃ浜辺で オンボロロ

  オンボロボーロロー

  沖を通るは 笠戸丸

  わたしゃ涙で

ニシン曇りの 空を見る

 

2.燃えろかがり火 朝里の浜

  海は銀色 ニシンの色よ

  ソーラン節に 頬そめながら

  わたしゃ大漁の 網を曳く

  あれからニシンは

  どこへ行ったやら

  オタモイ岬の ニシン御殿も

  今じゃさびれて オンボロロ

  オンボロボーロロー

  かわらぬものは 古代文字

  わたしゃ涙で 

  娘ざかりの 夢を見る

 

 

上の歌詞の1番の歌詞では、「ごめ」・・・これは漢字で「海猫」と書いてあるので、海鳥のウミネコで特に問題ないです。

「筒袖(つっぽ)」は火消しが着る筒袖同様の袂(たもと)のない半纏(はんてん)のようなもの。

「やん衆」は、季節漁師のような人々のこと。

「問い刺し網」は浮き子の付いた刺し網の一種の漁網。

そして「笠戸丸」・・・日本一波乱に富んだ船で、説明は後回しにします。

 

2番、「朝里の浜」は小樽にある日本海に面した浜で、海水浴場としても有名。

「オタモイ岬」、これはアイヌ語で、「砂浜のある入り江」と言う意味の小樽にある地名です。

そして、最後に「古代文字」。なんで唐突にこんな単語が。。。これは、小樽にある続縄文遺跡の「手宮洞窟」で発見された文字で、やはり小樽では名所になっています。

 

 

では、後回しにした「笠戸丸」について・・・。下の写真のように大変立派な貨客船です。

笠戸丸

 

 

笠戸丸の略歴は・・・

  • 1900年 造船会社で建造・竣工され、ポトシ(Potosi)として命名され、のちにロシアの船会社で貨客船カザンKazanとして使用される
  • 1905年 ロシア海軍の病院船として日露戦争に参戦。旅順港内で被弾し沈座していたのを日本海軍が浮揚し捕獲。戦利品として日本海軍に移籍し「笠戸丸」と改名。
  • 1906年 海軍省より東洋汽船が運航委託を受け、ハワイへ移民646名を運ぶ。
  • 1907年 ペルー移民452名を乗せて神戸港を出港。同年、メキシコ移民275名を乗せ横浜港を出港。さらに同年、メキシコ移民294名を乗せ横浜港を出港。
  • 1908年 ブラジルへ第一回移民781名を運ぶため、神戸港を出航。
  • 1910年 大阪商船が台湾航路に使用するため傭船し就航。
  • 1912年 海軍省から大阪商船に払い下げ。同社の南米航路に使用される。
  • 1930年 大阪商船から鹽崎與吉に売却され、いわし工船に改装。
  • 1931年 東洋工業に売却される。
  • 1932年 ミール工船に改装。
  • 1934年 新興水産に売却され、後に太平洋漁業に移籍する。
  • 1939年 日本水産に移籍、後に日本海洋漁業の所有となる。
  • 1945年 カムチャツカ半島・ウトカ港で水産加工品の積み込み中、ソ連軍により捕獲、乗組員を下船させ、数名の病人をのせたまま空爆を受けて沈没。

 

 

上記のように、笠戸丸は「日本一波乱に富んだ」歴史があります。上記は略歴なので、大分端折って書きました。そんな笠戸丸が「石狩挽歌」に出て来るのは、上の略歴から見ると、1930~1940年頃の時代と推測されます。 

 

 

その「笠戸丸」にも増して、この曲の出で立ちには、なかにし礼の人生が色濃く反映されていたことに大変興味が沸きました。

彼が幼少時、小樽に住んでいた頃、家は貧困の中にあり、兄はバクチのような鰊(にしん)漁を行ったことがありました。そして、折角大漁に恵まれたのに、それに満足せず、わざわざ本州まで運んで高く売ろうとしたために、その大量の鰊を腐らせてしまい、全てを失い膨大な借金だけが残り、一家は離散することになったのです。なかにし礼のそうした原体験とでも呼べるようなものが、この歌には込められています。

   なかにし礼のWikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E7%A4%BC

ある時期、なかにし礼が作詞に行き詰っていた時に、兄が現れて「鰊のことを書けばいいじゃないか」と言ったそうです。そうしてこの作品は生まれたのです。なお、この曲は日本作詞家大賞の作品賞にも選ばれています。

小樽市の西北の祝津(しゅくつ)岬にある、鰊御殿の旧青山別邸には、石狩挽歌の記念碑と、
なかにし礼直筆の歌碑があるそうです。是非一度行ってみたいですね。

記念碑

 

 

 

いかがでしたか? このブログでは今回初めて「歌」に関する話題を取り上げました。普段何気なく歌っている歌でも、その背景を見ると(知ると)かなり奥深いものがあったことに気付かされました。    

                                                         By【S.H】

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