SSBB便り
2023.06.26
田中城下屋敷
静岡県藤枝市にあった【田中城】
今から約500年前、この地の豪族一色氏が今川氏の命を受け、その屋敷を拡大して城としたことがその始まりと云われています。そして、今川氏の時代には徳一色城(とくのいっしきじょう)と呼ばれましたが、1570年、武田信玄の侵攻により落城した後は「田中城」と呼ばれるようになりました。そして、信玄の死後の1582年、徳川は織田と北条と連携して武田を攻略し、田中城を手に入れました。
田中城は4つの曲輪(くるわ)と4つの堀が同心円状に配置されており、その形状から別名「亀城」とか「亀甲城」と呼ばれていた珍しいお城です。
下の図参照
明治4年(1871)に廃城となり、その多くは民有地や公共の土地になりましたが、平成4年(1992)から下屋敷の庭園を復元したり、ゆかりのある当時の建物をここに移築・復元しました。城にあった建物の実物が現在まで残されることは大変珍しく、歴史的価値の高い文化財と言えます。
では、その下屋敷の入り口へ・・・
田中城本丸櫓(ほんまるやぐら)で、木造2階建て鋼板葺きですが、屋根は元は杮(こけら)葺きだったそうで、田中城から移築したものでは一番知られた建造物です。
入口右側には、詳しい案内図が建っています。
車で来た人のために、ここから右手に約90m進み、左折して約70mの所に無料の専用駐車場があります。
駐車場の看板は、トニカク目立ちます
駐車場からの下屋敷の入り口
駐車場には、田中城の概要が分かる看板が立っているので、とても参考になります。そして、駐車場から下屋敷へ入る脇門もあるので、そこから入ることも出来ます。
国土地理院の航空写真で見ることも出来ます。現在でも昔の面影をこんなに残しているのにはビックリです。
徳川家康は鷹狩が好きで、度々田中城に立ち寄ったとのこと。亡くなるまでの7年間で15回以上も田中城を訪れています。
1616年、鷹狩で立ち寄った家康は激しい腹痛に襲われましたが、鯛の天ぷらを食べ過ぎたとも言われています。数日後に駿府城に戻って養生生活を送るも、その年の4月17日、75才で波乱万丈の生涯を閉じました。さて、NHK大河ドラマでは、その辺りはストーリーとして描かれるのでしょうか? 興味津々です。
下に田中城の地図を出しておきます。所在地は藤枝市ですが、車だと東名焼津市IC
がかなり近いです。
あまり知名度は高くない田中城。しかし、何かと話題性があります。何かの機会に訪れてみては如何でしょうか。
By【S.H】