SSBB便り
2018.07.21.
御殿場の馬刺し
静岡県で馬刺し(馬肉)と言えば、御殿場です。
なぜ、御殿場で馬刺しなのかは定かではありませんが、市内を走っていると、
とにかくその看板やお店が目につきます。
先ずはここ、リーズナブルな価格の『山崎精肉店』です。
駐車場にある倉庫の外壁のイラストも面白い。
配送車両のボディーの看板もなかなかです。
そして、これがお店の外観です。
国道469号に面した御殿場市板妻のこのお店は芸能人もよく訪れるところで、
所ジョージさんの御用達だそうです。そして、清水圭さんのブログにも載って
いますし、大食漢の「石ちゃん」もテレビ番組でレポートしています。
そんな訳で、店内には色紙やら写真やらが沢山掲示してあります。
馬刺しや馬肉を食べる文化が広まったのは、肥後熊本藩初代藩主の加藤清正がルーツであるという俗説が有力です。400年前の文禄・慶長の役当時に豊臣秀吉との朝鮮出兵で大陸に渡った際、食糧が底をつき、やむを得ず軍馬を食した事が発端となったそうです。
そして、帰国後も好んで馬刺しを食べたことから領地である熊本で馬刺しを食べる文化が根付き、全国へと広まったとされています。
さて、御殿場で珍品なら保土沢の『富士竹』と言われているお店は・・・
それから、質的になかなか評判のいい川島田の『武藤精肉店』
いずれにしても、元の馬肉は県外産(愛知県や神奈川県)らしいですが、お店で解体して販売しているのが特長で、そこに美味しさの秘訣があるようです。
また、馬刺しを売っているお店の他にも食事を提供しているお店も何軒もあり、ランチタイムで馬刺し定食等は安く美味しく食べれるのはVerry Good!ですよ。
御殿場に行った際には、一度これを食して馬刺しにハマること間違いなしです!
By【S.H】
2018.06.20.
駿河三大名物【兎餅】
駿河の国は静岡県の伊豆半島を除くほぼ東半分の地域を指しますが、
その駿河の国で江戸時代に駿河三大名物があったそうです。
その三つとは、①安倍川餅 ②追分羊かん そして③兎餅 なのです。
その兎餅の看板が静岡市葵区古庄の国道1号沿いに見つけました。これです。
兎餅の「跡地」になっています。つまり、ここが発祥の地で、現在はここにはなく、駿河区西脇にある松木屋が製造を委託されて、静岡伊勢丹で販売されているとのことです。
これがその兎餅ですが、どこも兎らしい形はありませんが、とても美味しそうですね。
※この写真はネットから借用しました
このお菓子は満月をイメージさせる焼き印と、兎に見立てた白い外面の上品な仕上がりのものになっています。
薄皮の餅の内側は小豆飴とこし餡がたっぷりと入った、大福風の感じだそうです。
なお、兎餅の名前の由来は、店先にウサギを飼っていたからとのことです。
昔、東海道を旅してきた人たちは、ここでこれを食して長旅の疲れを癒したのでしょうね。
また、江戸幕府の役人でもありながら、狂歌師、戯作者、学者としても活躍した蜀山人(しょくさんじん)が詠んだ歌でこのお菓子はの評判が広まったのです。
その歌とは・・・
耳長ふ聞き伝えきし兎餅 月もよいから あがれ名物
(餅の“つき”が良いから召し上がれ、という意味)
次の拡大写真の看板にもこの歌が書いてあるのが分かります。
因みに、駿河三大名物の①安倍川餅の昔ながらのものは旧国道1号線の安倍川橋東側にある茶店風のお店(3軒ほどあり)で買えます。
お土産用のものは静岡駅の売店やスーパー、高速のS.A.やP.A.でも買えます。
また、②追分羊かんは静岡市清水区にある追分羊かん本店と大曲店で買えます。
それにしても、300年以上前から作られているものが今でも食べれるは凄いです。これからもずっと大事にしていきたいと思います。それには、たまには買って食べてあげるのが一番ではないでしょうか。
皆様も何かの機会に是非そうしてくださいね。
by【S.H】
2018.05.18.
サトウ・ハチロー記念館
作詞家として有名なサトウ・ハチロー。その記念館が岩手県北上市にあります。
先日のG.Wの期間中にそこを尋ねました。
ちょっとした現代の民家風の建物です。
何故ここにサトウハチロー記念館があるのかは不思議ですよね。
サトウハチローは東京の生まれなので、氏が亡くなった後に東京都文京区に記念館が作られ、氏の奥様が初代館長になったわけです。
しかし、その奥様が亡くなると、館長職を継承することになった佐藤四郎さん(ハチロー氏次男)は、資料の保存、散逸防止のための恒久的な倉庫を建設するため、四郎さんの奥様の出身地でもある、この北上市に記念館を造ることにしたのです。
勿論、北上市からの猛烈なラブコールがあったことは想像に難くありません。
前置きはこのくらいにして、早速入ってみましょう。
入場料の400円を払い入場したわけですが、大変残念なのが、記念館内は写真撮影が禁止となっておりました。
しかし、ケータイで1枚だけ内緒で(ごめんなさい)撮影したものを紹介します。
『おのろけ箱』という竹筒で、サトウハチローのユーモアに溢れた性格がよく分かる逸品です。
このほかに、写真は撮れませんでしたが、黒い2台のアプライトピアノが並んで展示されていました。1台は2番目の妻;歌川るり子用で、もう1台は当時の愛人;江川蘭子用です。
本妻にも、愛人にも平等にと買い与えたものだとのこと。なんと甲斐性のあること。私になんか絶対真似できません。後々、この愛人;蘭子は正妻になったとのことです。
このほかにも、異母兄弟の作家の佐藤愛子のことや興味深いその他諸々の書ききれないくらいのエピソードが満載のこの記念館です。
なお、この地はみちのく三大桜の名所『北上展勝地』に隣接する地の利の良さもあります。
なので、花見の時期に訪れるのもいいと思います。
近くには、こんな記念碑も鎮座しておりました。あの名曲『北上夜曲』の記念碑です。
それもそのはず。この向こう側は「北上川」なのです。
だからこの記念碑がここにあるのも納得!
こちら方面に行った際には是非訪問してみてください。おススメです。
By【S.H】
2018.04.18.
ヒヨドリ
ヒヨドリはスズメやムクドリよりも少し大きめの野鳥です。
我が家(富士宮)周辺にはこの時期(3~4月)には毎年必ずやってきます。
それを知ったのは、うちで沢山なった甘夏を野鳥にも少しお裾分けしようと、
樹木にくくり付けた止まり木に甘夏を刺して置いたら、この動画のようにこの鳥が真っ先に来てついばんでいるのです。大好物のようです。食べっぷりのいいこと。
今回、初めて動画をUPしてみました。
Wikipediaによると、その形態の説明には、
1.全長は約27.5 cmで、翼開長は約40 cm
2.尾は長めで、尾長10.9-12.5 cm
3.くちばしは黒くて先がとんがっている。雌雄同色。
4.頭部から胴体は灰色の羽毛に覆われるが、頬に褐色の部分があり、よく目立つ。
5.頭頂部の羽毛は周囲よりやや長く、冠羽となっている。翼や尾羽は灰褐色をしている。
まさしく、その通りです。この動画でよ~く分かりますよね。
鳴き声は「ヒーヨ! ヒーヨ!」などと甲高く聞こえ、和名はこの鳴き声に由来するという説があるとのこと。
果実や花の蜜を好んで食べるが、繁殖期(5~9月)には果実に加え昆虫類も多く捕食する。
さて、少し前の冬が厳しかったせいか、我が家の今年の甘夏の生育は例年と違い、実の「数」も「出来」もたいそう貧弱です。なので、今年は大したお裾分けが出来なくて残念です。
いつもならこの木に沢山なるんですが、今年はまばらな状態の甘夏です
ヒヨドリ君(さん?)、こんな甘夏で ごめんね
今回の動画はいかがでしたか? 静止画と違って随分インパクトがありますね。
また何かの機会に興味ある動画をUPしたいと思います。
【S.H】
2018.03.22.
大井川水路橋
静岡県を流れる三大河川、大井川、天竜川、富士川の一つ大井川に架かる橋はそんなに多くありません。
特に国道1号線の上流側には新東名高速以外の一般の橋はありません。でも、新東名は高速道ですから、一般道としては全然ないということです。
ですから国道1号線の上流側を北側にドライブしていったら、どこまで行っても大井川の反対側の地域には行けないのです。「え~? ホントに~???」
ところが、地図をよく見ると国道1号線から約3.5km上流側に、かすかに橋らしきものが載っています。
しかし、ナビでは決して案内しない大井川水路橋なるものがあったのです。
これは便利で、最初にこの存在を知った時には目からうろこでした。
島田市の神座(かんざ)地区と同市横岡地区を結ぶ地元では大変重宝な存在です。
これがその橋の全景です。デザインはチョット変わったコンクリート製です。
早速、橋を渡りましょう。
ところで、橋の入り口には大変重要な注意書きの看板が建っています。よく読んでください。
そうなんです。この橋は時間帯によって一方通行の方向が変わるのです。
一度、時間帯を勘違いをして、この入り口まで来て進入しようとして、係員に制止されたことがありました。がっかりでした。反対側に行くには3.5キロも下流に行って国道1号の橋を渡らなくてはならないのでした。
さて、橋を渡りましょう。
橋の幅は結構広いので、ゆっくり走れば対面通行も可能のような気もしますが、橋長はかなり長いので、一方通行は安心感があって、周りをキョロキョロしながら走っても大丈夫(?)です。
歩道(自転車道)は赤く塗っててあり、その点でも安心です。(と言っても、私が走った時には車も人も自転車も誰もいませんでしたが・・・)
この橋についての説明が別の看板に分り易く書いてありました。
上の地図の赤い線は道路ではなく、水路です。つまり、大井川の上流で取水したものを大きく2系統に分けて下流域の農耕地に送水しているとの説明です。
そして、その歴史についての概略が書いてありました。
普段、ここには行く必要もない所ですが、用事がある人にとっては大変ありがたい橋です。本来は『道としての橋』ではなく。『水路としての橋』ですが、近くに行った折には利用してはいかがでしょうか?
但し、くれぐれも一方通行の時間帯には注意して行ってくださいね。
このブログの写真で確認するといいですよ。
【S.H】